試練を苦しいものにしない

試練は乗り越えないといけないもの?

よく「試練を乗り越えなくてはならない」とか、「これも神が与えた試練だ」とか「神は乗り越えられない試練は与えない」などと言われています。

しかし、私は思います。

「肩肘張りすぎではないのか?」

試練、試練と身構えすぎているような気がするのです。

また、「~のために乗り越えなくては」と「~でならなくてはならない」と思い込むと自らを追い詰めてしまいます。
そして、その固定観念は、もっといい方法や魅力的なもの、必要なものが近くにあったとしても気付かず、選択肢を狭めてしまいます。


身の丈に合わない試練やムダな試練を選んでいないか

何かやりたいことがあって、そのやりたいことを実現させるために努力をしたり、障害となるものをできる範囲内で取り除いていくのであればよいでしょう。

何らかの苦労を強いられたり、嫌な気持ちで耐えるのであれば、その試練はまだ時期尚早。
より適切な、近くにある大事なものを忘れている可能性があります。

現時点でのあなたに合わない試練だと、苦労や苦しみが伴い楽しくありません。
こういった苦労や憎しみ、苦しみ、さらに(その境遇に対する)恨みは、顔に出ますし、嫌な雰囲気(オーラなどと言われますね)さえ発します。
そしてさらに進行すると、無意識のうちに愚痴をはくようになります。
その負のオーラや愚痴は、周囲にも影響し、周りの人が逃げていきます
結果として、運も逃げていきます。
苦労顔、苦労の雰囲気、苦労の言葉(愚痴など)こういうのは避けたいものですね。

千里の道も一歩から。何も苦しい課題を自ら課して無理をすることはないのです。


試練は苦労を伴うものでなく、努力を伴うものが望ましい

「試練」。

それは自分にとって乗り越えられそうな時は乗り越えたらいい。
乗り越えたければ、乗り越えたらいい。
でも、努力や工夫はしても、苦労はしないでほしい。

その試練、あなたにとって「希望」でありますか?
ワクワクするものでありますか?
何らかの楽しみが伴いますか?
周囲を幸せにする試練ですか?

苦労、憎しみ、(我慢することで生じる)恨みなど、ネガティブな感情が伴うのであれば、その試練はアナタ向きではありません。

逆に、希望、楽しい、の感情が伴うのであれば、その試練はあなたをより輝かせてくれます。
目標に向かって努力している人って、輝いて見えますよね。
表情もイキイキしています。
これが素敵なオーラとなり、人々を引きつけ希望を与えます。

また、試練だ、試練だなどと試練に気を取られ、余裕をなくし、周囲への思いやりがおざなりになるのもよくありません。
運も富も、ある程度余裕がある状態でしか生じません。


マイナス方向への人間的成長

苦労の先に人間的成長があるのだ。
などとおっしゃる方もいらっしゃいますが、マイナスの成長だってあるのです。

怒りや憎しみ、苦しみ、恨みなどの負のオーラをまとったり、顔がしかめっ面、疲れ面、やつれ面になるような人間的成長であれば、成長しない方がマシなくらいです。


何をするにも能動的に

「苦労」や「我慢」が美徳と言われる日本社会。
しかし、必ずしも苦労や我慢が必要とは限りません。
場合によっては、他の方法を選んだ方がいい場合もあります。

ただ、「何をしてもすぐあきらめる」というのでは何も生じません。

何が言いたいかと言うと、「我慢」や「苦労」よりも、自分が希望を持って取り組めるもの、
心身に強い負担を強いないもの、能動的なもの(つまり努力)が、人間的成長にしても何にしても
プラスの影響が現れると言いたいのです。

「嫌だ、嫌だ」と思ってやるくらいならやらない方がいい。
逆に楽しみながら行えるものはプラスの成長に導きます。


どうしても必要な試練の場合

会社勤めなどをしている場合、自分の意に反して、「望まない課題」が課される場合もあります。
しかしその課題はあなたの素質を見込んで課されたものである場合が多い。

嫌だ、苦しい、できなかったらどうしよう、恥をかくのが嫌、人間的成長のためになんとかしなきゃなどと思いながらすると、心身共に疲れ果ててしまい、結果を出す前に「元気」不足となってしまいます。

元気とは「元の気」。健康より広い意味を持ち、「気力」も含まれます。

この「元気」を持続しながら試練をこなしていくには、「とりあえず、やってみようか」
「仕事で取り返せない失敗などない」などと、肩の力を抜いて取り組むことが必要です。

恥をかいたっていいのです。
かっこよくなくたっていいのです。

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