死にたいと思う原因は?

死にたいと思う原因を考える

死にたい理由を掘り下げる

私は小5の頃から死にたいと思っておりました。
死にたい、この世で苦しむくらいなら死んで楽になりたい。
それも楽して死にたい。
この思考が30歳をすぎても続きました。

しかしある日思ったのです。
私はなぜこんなにも死にたいと強く思うのか。
自問自答した結果、私が心配症であること、不安、取り越し苦労、人間嫌いが常に激しいことに気づきました。

おまけに完璧主義の傾向があり、些細なことで劣等感を抱く傾向があることに気が付きました。

このように私が死にたいと思う原因はひとつでなく、大きく分けて「不安」「劣等感」「人間嫌い」の3要因が絡み合って発生していたのです。


死にたいと思う原因1:不安感

死にたい原因のひとつが不安感のせいなら、不安感をまずケアしようと考えました。
考えてもムダなことは考えない
意識してもなかなか難しいものです。

ただ、すぐに解決できるものは即行動など、不安の原因となるものをできるだけ早く排除することで、ムダな思考を止めることができました。

すぐに解決できないもの、大分先のものは、考えてもムダなので、思考を止め、他のことをする、いい案が出ればそれを具体的に練るなどの作戦を立てるよう心がけています。

ずっとムダな思考(マイナス思考)が続くと心身に負担がかかり疲れるので、「ずっと考えていたらムダに疲れるだけだからやめよう」と自分に言い聞かせます。それでもふとした拍子に思い出すこともありますが、大分心の負担が軽くなりました。


死にたいと思う原因2:人間嫌い

私は幼い頃から人間が嫌いでした。
人が近づいてきたら陰に隠れていました。
学生時代になっても、社会人になっても人間は嫌いのまま。

人間と付き合うと疲れるからです。
気を使いすぎるのです。誰かと話していても、私、変なふうに思われなかったかしら、などと後で考えすぎてしまうのです。
ひどい時は人前で赤面し、汗がたらたら。
しかし相手はそれほど私のことを気をつけていないということに気づきました。
私は自意識過剰だったのです。

相手はそれほど自分のことを気にしていない
そう思うようになってちょっと楽になりました。

この時点では人間が好きとまではいかないまでも、あ、ちょっと付き合いやすくなったかなという程度です。

さらに35歳を過ぎた辺りから、自営業を始めたのがきっかけで、完全に人間嫌いは消えてしまいました。→詳しくは人間嫌いの克服


死にたいと思う理由3:親から聞かされる愚痴

人間嫌いや不安グセ、死にたい願望を振り返ってみると、私の子ども時代にも要因があることに気づきました。

それは親の愚痴です。
他にも学生時代に集団行動になじめなかったこと、病気で休んで勉強が分からなくなり劣等感を抱いたことなども原因(つまり過去の辛い経験)だったようです。

私の母は、仕事で嫌なことがあると私に愚痴をたくさん話していました。
同僚の悪口を言ったり、人間なんて信じられない、世の中なんてこんなもの、そんなネガティブな言葉をくり返し浴びせられて育ってしまったのです。

死にたいなどと思ったことがない弟は愚痴は嫌だと突っ返しても、私は突っ返すことなく母の愚痴を聞いていました。

しかし親の愚痴はあくまでマイナス思考の原因のひとつ。
愚痴グセのある親を憎んでも意味はありません。
大切なのは親の愚痴で洗脳されてしまった自分を元に戻すことなのです。

親に愚痴を言うくせがある場合、引き続き影響します。
そこで愚痴のダメージをゼロに近づけるスキルが必要になるのです。
→愚痴から心を守る


「死にたい」は「楽になりたい」

死にたいと思う理由をまとめてしまうと、上記の理由から心労が重なり、「ああ!もう!楽になりたい!」という心境なのだと思います。

「死んで」はあくまで手段。その後の「楽になりたい」が本当の希望

ならば、せめて「死にたい」と思いそうになったら、「いやいや、私は楽になりたいんだ」と思い直すのもよいでしょう。

そしてその「楽になりたい」という願望を叶えるにはどうすればいいか考えるのもよいでしょう。

・誰かの期待(自分の期待も含む)に応えることをあきらめる
・必要以上に自分を追い込まない
・完璧をあきらめる
・愚痴に同調しない
・将来、楽に暮らせる方法を確立する 等々。

考えてみれば、楽になる方法は、死ぬ以外にもたくさんあります。


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